ごくごく普通の社会人読書ブログ

「いいこと読んじゃった」ってなってくれたらうれしいです

#7 『勉強するのはなんのため?』

『勉強するのはなんのため?』

 

作者 苫野一徳 日本評論社

 

内容

「なんで勉強するの?」

誰もが一度はこの疑問を抱いたことがあるかもしれない。

 

いま 学生の方は

この疑問を最大級に抱いているかもしれない

 

お子さんを持つ親御さんや先生は

常日頃から、この疑問をぶつけられ返答に困っているかもしれない

 

それもそうだ

 

この疑問に絶対的な正解などないからだ

 

「いい大学に行くため」

「いい会社にしゅうしょくするため」

「忍耐力をつけるため」

「論理的思考をはぐぐむため」

 

いろいろな答えが考えられるが、

どれも正解なようで正解ではないような気がする。

 

この本では、

「なぜ勉強するのか」といった問いに

先人たちの知恵や考えといった哲学を駆使し答えている。

みどころ

この本では、

「なぜ勉強するのか?」といった疑問を軸に

 

学校教育の問題

生きる力とはなにか

若者のニヒリズム

学校での人間関係

 

などに触れ、内容が展開されていく。

 

上記について少しだけ触れていこう。

 

まず、私たちは学校での勉強において

常に「こたえ」がある状態で学校教育を享受してきた。

 

そのため、私たちは正解を求めることに慣れすぎてしまい、

世の中の答えのない出来事に直面したときに

戸惑いを見せてしまうのだ。

 

このような状況に馴れていないため、

 

「とりあえず、やらなきゃいけないからやる」

 

といった目的意識や動機もはっきりしないまま

勉強などに取り組んでしまうのである。

 

ひとむかしまえ、経済成長期であった日本は

ちゃんと勉強して働けば、豊かな暮らしを享受できるとかなり信じられていたし、実際にそうであった。

 

しかし、バブルが崩壊し、不景気が続く日本では

とっくに、この安心がなくなり、生き方の正解を失ったのだ。

 

そのため、勉強する理由の絶対的な正解が無くなり、

今の若者は途方に暮れるものが多いというわけだ。

 

では、今の時代

「なぜ、勉強するのか」

 

ぜひ、この本を一読していただき

新たな知見を得てほしい。

 

感想

ボクはこの本を読破し、

学校での学びにいくつかの疑問を抱かざるを得なかった。

 

ここでは一つだけ共有すると、

 

例えば、日本の一斉授業スタイル。

 

教師一人に対して、クラスの生徒全員が

おなじ内容をおなじスピードで学習していく

 

はたして、ここに意味はあるのだろうか。

 

勉強に前向きな生徒には

スピードがおそくて退屈な時間になるし

 

勉強に後ろ向きな生徒にとっても

スピードがはやくて退屈な時間になる

 

一人一台の端末が普及されているいま、

個々の学習管理など容易にできるであろう

 

グループ活動以外の時間は

個々で学習できる仕組みをつくっていってもいいのではないか。

 

学力に差があって、もしくは差が広がって何が悪い?

 

学校にとって、点数で測れるが学力が全てだろうか。

 

といった疑問を抱いたけれど、一筋縄ではいかないからこそ、

 

文部科学省はじめ教育委員会、そして学校現場は

日々、苦戦を強いられているのだろう。